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 高井神島は瀬戸内海は燧灘の人口7名の小さな島です。高井神島に来る前に、この島のこと、島にかける私たちの思い、そして、島での過ごし方について触れてください。きっとあなただけの高井神島の姿が思い浮かぶはず。

高井神島

 高井神島は瀬戸内海中央部の燧灘に浮かぶ魚島群島の一つです。面積約1㎢、周囲約5㎞の小さな島ですが、近海は瀬戸内航路の要所であるとともに、タイの好漁場として知られ、1950年代には70世帯300人もの島民が半農半漁の生活を送っていました。この小さな島に20近くの名字が確認される事実は、古くから多くの人々が高井神島の豊かな環境を目指して移住してきたことの証でもあります。

 一方、離島という地域条件による生活上の不便から、1970年代から人口減少が急激に進行し、2023年現在では人口が7名にまで減少しています。こうした状況を鑑み、2010年代より住民主体の「島おこし活動」が行われるようになり、数々の取組の結果として、現在ではマンガ壁画の景観が広がる「マンガの島」として知られつつあります。

 こうした景観は住民にとっては日常ですが、島を訪れる人にとってはきっと非日常でしょう。ぜひ高井神島を訪れていただき、島のことをもっと知っていただくとともに、島での体験から「あなただけのひとコマ」を胸に刻んでいただければ幸いです。

島民の思い

 私が東京から高井神島に帰郷したのは2005年。かつては狭い集落に大勢の人が住んでいて、漁業やら柑橘栽培やら子供の声やら活気のある島でしたが、39年ぶりに帰ってきてみると島の活気はすっかり消え、高齢者ばかりの島になっていました。帰郷の目的は両親の介護のためでしたが、両親は「せっかく大学まで出したのに、こんな島に帰ってくるな」と大反対でした。島民にさえ「こんな島」と呼ばれてしまう状況にいたたまれなくなりましたが、帰郷まもなく島の自治会長を委嘱されたこともあり「1日でも長くみんなが幸せに住み続けられる島」を目標に、高齢者の生活支援、交流イベントの企画、祭りの復活などの「島おこし活動」を細々と仲間と続けてきました。

 しかし、帰郷して10年が経った頃には人口がさらに半減し、私も高齢者と呼ばれるような年齢に達していました。島の将来を考えると恐ろしくなり、「『高井神島ここにあり』を大胆に示せることを」という一念で東京時代の盟友に協力を仰いで取り組んだのが、現在の高井神島の顔ともいえるマンガ壁画です。私の父は亡くなる間際に「島の役に立つようなことやれ」と言い残しましたが、今日までの細々とした「島おこし活動」が島の役に立つことなのか否かは、まだ私にはわかりません。ただ、「島おこし活動」の過程で高井神島のことを応援してくれる多くの仲間に恵まれ、今日まで楽しく「こんな島」で過ごすことができています。その意味では帰郷の時に目標とした「幸せに住み続けられる島」はひとまず達成できているのかもしれません。

 皆様にはぜひ高井神島に足をお運びいただき、瀬戸内海のど真ん中に「こんな島」があることを発見していただくとともに、皆さんなりの過ごし方を発見していただければ幸いです。

島での過ごし方

 観光に計画は重要ですが、高井神島にいらっしゃった際は「アレをしよう、コレをしよう」という心づもりはとりあえず忘れてください。というのも、高井神島にはマンガ壁画をはじめとして、いくつかの見どころはありますが、全てをゆっくりまわっても2時間程度です。そして、食堂や商店はおろか、お金を使うところは港務所の自動販売機くらいしかありませんし、特段に遊具や釣具の貸し出しもしていません。ましてやガイド付きのツアーやアクティビティなんてものもありません。さらに言えば、時と場合によってはこんな狭い島なのに島民と出会うことすらありません。

 逆に言えば「『ないがある』時間を楽しむこと」が高井神島での過ごし方のコツです。とりあえずあくせくせずに「なにもない」時間をゆっくりとお楽しみください。「ない」ことは、島外の方々にとっては不便に思えるかもしれませんが、これが島民の日常ですし、多少の不便は島で過ごすうえでの味付けになります。

 もちろん、道具や食材を持ち込めばシュノーケリング・SUP・フィッシング・バーベキューなどの各種アクティビティが可能ですが、まずは、防波堤にでも腰かけて、島に漂う穏やかな空気感と瀬戸内海の雄大な景色をゆっくりお楽しみいただき、島に滞在する中で自分なりの過ごし方を見つけていただければ幸いです。なお、宿泊する際はもちろんですが、お昼を挟む場合も食事の用意を忘れずに。